蒼氷の暗黒書物

蒼氷とかいう無名雑魚が日々の出来事(主にゲーム関係)を書き綴るブログ

第五世代の思い出

どうも、蒼氷です!
今回は完全な自分が感傷に浸る為の思い出記事です←
ネタ要素は特に無いと思います。
また、自分が使った印象の深い構築に関してはちょくちょくメンツだけ載せていったりします。


かなりの懐古厨なので、色々と身内ネタとかもバラ撒きながらひたすら思い出を書き綴ってあります。
懐古とか苦手な方はこの記事は読まないことを推奨します。




昨日、DS・WiiソフトのWi-Fiサービスが終了しました。
BW・BW2のランダムマッチ等のサービスも終了したため、実質的な第五世代の終了と言っても良いだろう。


自分にとって第五世代のポケモンというのは、ポケモン対戦をガチでやり始めたソフトであり、自分の人生をいい意味にも悪い意味にも大きく変えてくれた非常に思い出の強い世代となった。


前置きはここまでにして、第五世代の最初からの思い出を思い出しながら少しずつ書いていこう。







全ての始まり…。
それは第四世代の時代にまで遡る。
僕のリア友に一人、毎日のように自転車を漕ぎ、卵を厳選してる人が居た。
彼は自称ポケモン廃人。僕はいつしかそれを見ているうちにその圧倒的な実力の過信をへし折ってやろうと思っていた。

そんなくだらない理由が全ての始まり。僕はポケモンで対戦をガチでやると誓い第五世代へと足を踏み入れたのだ。

忘れもしない2010年9月18日。全ての始まり。
思えば、この日からこの記事を書いた日までの約3年8ヶ月はとても充実した物だった。何度も他のゲームに浮気しながらも青春のほぼ全てをポケモンに尽くす日々の始まりだったのだ。




発売してしばらくの間はその友達とバトルして遊んでいたくらいだった。
しかし発売の数ヵ月後に初めての挫折を味わうこととなるのだ。


多分11月くらいだっただろうか、唐突に訪れた近くのイトーヨーカドーの3Fにて、たまたま公式大会(イッシュダブルルール)の店舗大会なるものが行われていた。
そこで恥ずかしい話ながら1回戦で、しかも相手は小学生くらいの子供であったにも関わらず負けたのだ。
自分の見ていた世界とは何だったのか、その視野の狭さを思い知った。
そう、僕はシングルしかやったことが無かったのだ。
育成済みが1ボックス超えただけで喜んでた当時の自分を愚かとは言わないが、ポケモンというゲームを甘く見すぎていたのだ。


それ以降僕はダブルバトルというものを多少考え始めた。
そこで初めて「まもる」の有用性やSを変動させる技がシングル以上に扱いやすい故のトリッキーな戦術、あの頃の僕にとっては全てが新鮮だった。




そして月日は流れて2011年4月頃になったか…
ちょうどレーティングが始まったのだ。
当時は多少ダブルを考察していたが基本的にシングルオンリーだった僕にとって2度目の挫折を味わう時が来たのだ。

蒼氷「なぜだ…なぜフリーだと勝てる構築なのに…レートだと通用しないんだ…!!!!!?」


あの頃は本当にダメだった。視野が狭かったんだ。






そんなこんなで発売1周年の直前。
1周年を記念した初めてのWi-Fi大会、ジャパンカップが開催された(※ルールはイッシュダブル)
当時、過去の挫折からの経験でダブルの考察を多少していた僕は、厳選勢ながらがんばってこのような構築を作り上げた。

f:id:Hyo_so:20140521193354g:plainf:id:Hyo_so:20140521193435g:plainf:id:Hyo_so:20140521193816g:plainf:id:Hyo_so:20140521193925g:plainf:id:Hyo_so:20140521194029g:plainf:id:Hyo_so:20140521194042g:plain




この構築は初めて自分が全体のバランスなどを考えながらノートに構築を纏めて作った、いわゆる全体的考察から生まれた構築なのだ。
見るとかなり穴だらけな構築に感じるが(実際穴だらけだが)自分にとってはとても思い出深い構築なのです。
なお、このジャパンカップの結果は瞬間レート1600強、最終レート1550という結果。
乱数できない当時の僕はボルトロステラキオンを使われるのが理不尽に感じましたwww




そして、僕はこのジャパンカップで何を思ったのか、今まで手をつけたことの無いルールに挑戦したいと考え始めた。
シーズン2の最後の方だったか、唐突にローテーションバトルを始めた僕は高い勝率でシーズン3の最初の方で1600後半までレートを上げた。

当時の構築だが

f:id:Hyo_so:20140521194810g:plainf:id:Hyo_so:20140521194837g:plainf:id:Hyo_so:20140521194830g:plainf:id:Hyo_so:20140521195119g:plain
f:id:Hyo_so:20140521195253g:plainf:id:Hyo_so:20140521195306g:plain


今の自分が見ると本当にわけのわからない構築であるwwww
よくこんなものでレート1600後半まで行けたなというのが正直の感想。
この構築に関しては当時のメモ等が不足していて、当時の自分の思考がどうも思い出せない。




まぁダブル・ローテと手をつけたら、あとはトリプルとシューター。
どうせ、ダブルと同じような物だろうと軽い気持ちで潜った。

トリプルはローテの構築の使いまわしで潜り、旅パを狩って1戦で終了←



しかし、その後潜ったシューターで俺は挫折を味わうこととなる。

ぴこーん!対戦相手が見つかりました!

蒼氷「は?wwwwwwww相手1900勢かよぉwwwwwwww勝てるかyo!wwwwwww」


思うとシューターの過疎は当時からだったのか…。

とりあえずその1900勢に僕は為すすべも無く圧倒的な敗北をした。



しかし、俺は挫折しても心は折れず、その1900勢の人の強さを超えたいと願ったのだ!

思うとゲームのことになると非常に自分は負けず嫌いになる。その性格が原因で俺はここまでポケモンというゲームをやり込んでしまったのだろう。





そしてあの敗北から数日後、俺の人生を大きく変える革命的出来事が起きた。


2011年12月の出来事だったか…



俺はTwitterを始めたのだッ!!!!!!!



Twitterを始めるきっかけはリア友2人に勧められたからであり、その2人には感謝してもしきれないと今となっては思う。
最終的には自分でTwitterというものを見て、レート上位勢のほとんどがTwitterのアカウントを持っており、その強さの秘密はTwitterにあるのだと思ったから、始めるに至ったのである。




僕はそのSNSの情報力に魅せられた。とにかくTwitterをやるとレート環境が掴める。勝てる勝てるんだ。何を言ってるかわからないが、ポケモンで勝てるようになるのだッ!!!


備考ですが、本当に一部の初期フォロワーさんなら知っているだろうが、自分がTwitterを始めた当初というのは今とはかけ離れた硬派なレート勢のようなツイートをしてました。



そして、レート上位勢のほとんどが乱数勢であることを知り、乱数を学ぶことを決意。わずか2日程度の学習で(勉強時間約120分)第五世代乱数を会得した。


乱数を得た俺は意図した調整を確実に組むことが出来る快適さに目覚め、シーズン3時点で8300、シーズン4時点で8400後半という高い総合レートを獲得することができた。



しかしながら、有名な話ではあるが、第五世代のシーズン1~シーズン4は全てレートが引き継がれる仕様であり、シーズン1からガチでやってる総合勢には歯が立たず、100位以内なんていうのは夢の夢だと思ってた。


そんな中、突然の出来事だった。
シーズン5でレートが突然リセットされたのだ。
なんということだ、これなら簡単に100位以内だって狙えるッ!!! 



そして僕のモチベは上がった、とても上がった。
結果、シーズン5では8500近くの総合レートで総合レートの3ページ目あたりに入れた。



ここまでBWレート、以降BW2環境。



BW2環境に入る前に、一応WCS2012の予選となったWi-Fi大会で使用したメンツの紹介

f:id:Hyo_so:20140521194810g:plainf:id:Hyo_so:20140521194830g:plainf:id:Hyo_so:20140521201250g:plainf:id:Hyo_so:20140521201257g:plainf:id:Hyo_so:20140521201308g:plainf:id:Hyo_so:20140521201333g:plain



この構築力の高さァ!!!!クレセリアは貰い物ォ!!!!!!
Twitterを始めると、こんな感じに強くなれるよ←

なおこの大会はレート1717で予選は超えれませんでした。










ここからBW2環境


2012年6月23日…あの日の自分の鼓動の高鳴りは今でも覚えてる。
BW2は神ゲーだ。多彩な新要素が加えられていてとても面白かった。
中でもジョインアベニューのシステムが私のお気に入り。
このあたりのポケモンは人との繋がりというものを実感できるシステムだったなって思う。
ネットが普及した今の社会によく合う不特定多人数による楽しみ要素。これがポケモンに導入されたのも第五世代最大の特徴であろう。




シーズン6
BW2の発売、ARサーチャーによる霊獣の登場。とにかく楽しかった。
この頃が一番ポケモン強かったと自称するのはそのモチベーションの高さが大きいだろう。
進路が決まってないにも関わらず僕はひたすらポケモンをやっていた。
具体的に何をしたか覚えてないくらいポケモンで対戦回数を積んでいた。
結果的にシーズン6は第五世代で一番総合レートを稼げて(瞬間最高は8722・最終結果は8600後半だったか)総合レートの2ページ目まで入れた。


途中のWi-Fi大会使用構築まとめ

ビギニングカップ(ネオイッシュダブル)
f:id:Hyo_so:20140521194810g:plainf:id:Hyo_so:20140521201257g:plain
f:id:Hyo_so:20140521203621g:plainf:id:Hyo_so:20140521203944g:plainf:id:Hyo_so:20140521201333g:plainf:id:Hyo_so:20140521193354g:plain


一番いい順位を残せた五世代のWi-Fi大会。ガマゲロゲの貯水決まった時の爽快感( ´◔‿ゝ◔`)


オールスターカップポケモンセンターカップはあまり印象に無いというか、当時の資料すら家に残ってない始末でしたww






しかし、ここから僕は硬派なポケモン勢からエンジョイ勢に成り下がることとなる←


まず、第一に受験。
シーズン6の終了後から今の大学(正直受けないほうが良かったとまで思ってるが)の面接までの間ほとんどポケモンをしてなかった。

更に、Twitterの使い方が大きく変わったことだろう。
その僕をTwitterに誘ったリア友がパクツイとか始めてツイ廃になってきて、その流れに便乗して、かなり自分もキチガイじみたキャラになっていった( ´◔‿ゝ◔`)b



硬派なポケモン勢⇒硬派なツイッタラ


まぁそのおかげで沢山のポケモントレーナーと知り合うことが出来て、今特に深く絡んでる人たちのほとんどがこの時期(2012年10月以降)に知り合った人たちです。


ポケモンというゲームが僕に沢山の仲間をくれたのは紛れもない事実で、今の僕は昔のように強さだけを求めるのでは無く、人とのつながりを大切にしてポケモンというゲームをやっていきたいなと思ったわけです。




大きく話が逸れましたが、第五世代はまだまだ長いです。

ですが、実のところシーズン6以降はほとんどレートをガチでやることは無くなりました(主にブライツ戦法や自演勢の増加などによるモチベの低下)




以降は身内との愉快な楽しみと公式大会の構築をザラっと





大体2012年12月あたりに、ツイキャスが身内で流行りだして、その時にフォロワーのある人が突然ローテフリーに潜り出して、そこからローテフリーでスナイプするのが身内で流行りだしたのです。
正直に言うと、その頃が一番ポケモンやってて楽しかったですww

誰かがツイキャスをしてはそれをスナイプする。あの身内の誰と当たるかわからないドキドキ感。
本当にあの頃のポケモンクラスタの方々との絡みや対戦、それが僕の人生の中でも楽しかった日々なので、いつまでもその思い出を忘れずにいたいものです。



まぁそれから月日は流れてくんですが、自分は2014年の4月から大学の闇に飲まれました。
それ以降はポケモンやる機会はなくなりましたねwww


意外とBW2発売以降は一度だけガチでレートやって、それ以降は遊びつくすスタイルに変わった感じです。
正直なところ第六世代の最初の方に、にしくんさんと首位争いしてた頃はシーズン6のような硬派な時代を思い出して、色々感傷に浸りながらレート潜ってましたね←




自分に言い訳してるようなのですが、これからもBW2最後の方みたいな強さより楽しさを求めていくスタイルでやっていきたいなって思うのです。


第五世代からポケモンを始めて強くなりたいと思い、強さを求め、そして沢山の人と知り合って、皆との友情を深めていき、本当にポケモンというゲームはいい意味でも悪い意味でも僕を成長させてくれた。
僕にとってポケモンはもうただのゲームと言えないレベルの付き合いになってきている。
これから何世代までポケモンが出るか、自分がそれをプレイするかは全くわからないが、ポケモンを通じて出来た大切な仲間達との思い出は色褪せることなく僕の心に残り続けるだろう。



これだけ素晴らしいゲームを作ってくれた制作スタッフの皆様に改めて感謝です。
第五世代本当に楽しかったです。ブラックホワイト、ブラック2ホワイト2。今までありがとう…。
そしてこれからも周回するときはよろしく←


最後までこんな記事読んでくれた読者の方にも感謝です!ありがとうございました!

END





というわけで思い出の内容はここまでですが。
最後にレートをあまりガチでやらなくなった後の僕のWi-Fi大会使用構築のまとめ



イーブイカップ
f:id:Hyo_so:20140521210415g:plainf:id:Hyo_so:20140521210428g:plainf:id:Hyo_so:20140521210412g:plainf:id:Hyo_so:20140521210421g:plainf:id:Hyo_so:20140521210500g:plainf:id:Hyo_so:20140521211114g:plain


晴れブイズです。一応100位以内入ってる。




クリスマスカップ
f:id:Hyo_so:20140521211356g:plainf:id:Hyo_so:20140521211221g:plainf:id:Hyo_so:20140521211243g:plainf:id:Hyo_so:20140521211532g:plainf:id:Hyo_so:20140521211651g:plainf:id:Hyo_so:20140521211810g:plain


初めてやった伝説解禁ダブル。シンオウ龍にボコボコにされる構築。



INC・ジャパンカップ
f:id:Hyo_so:20140521212134g:plainf:id:Hyo_so:20140521212142g:plainf:id:Hyo_so:20140521212329g:plainf:id:Hyo_so:20140521201308g:plainf:id:Hyo_so:20140521201333g:plain


この5匹を確定枠として、ラスト1匹に補完枠を採用する構築を使用。
グロス・クレセ・ボルトがWCS2012の時の使い回しでありながらも、こちらでも1700を超える成績を出せているので、本当にこのポケモン達は5世代ダブルのトップと言えるポケモンだったのだろう。




グローバルショーダウン
この過去記事を参考
http://hyo-so.hatenadiary.jp/entry/2013/07/26/205719

最後の大会というだけあって色々と考察して楽しい構築を作れたと思いました。